技術に人生を預けるな

「会社に人生を預けるな リスク・リテラシーを磨く」読了

何も考えずに会社に身を任せるのはダメ、リスクを理解した上で判断しなさい。というお話。正直言うと、そこまでリスクを考えすぎるのはつまらん生き方なんじゃないかとも思ったんだけど、リスクを考えないというリスクを理解した上でそれを無視するなら実はこの本の内容を実践しているのかもしれないとか思ってきた。ややこしいな。

面白かったのは日本の「お上」中心主義の指摘のところで、日本のヒーローというのは金さん、水戸黄門、銭形平次、ウルトラマン、仮面ライダーと、お役所的な偉い人が多いがアメリカは市民が多いという例があったところ。

自分の世代だと警察官とか両さんくらいしか思いつかないが、もろ庶民派だし。でも悟空やケンは市民といわれるとちょっと違うな。アメリカのヒーローがワンパターンだから日本アニメが向こうで支持されてるという話もあるんだけどね。とは言え、未だに水戸黄門とかやってるところを見るとやっぱり日本は微妙なのかもしれない。(市民が国家権力にたてつく話って何だろう、銀さんくらいしか思いつかん)

会社に人生を預けるなという意味では「明日会社が無くなっても大丈夫なようにしておく」というのが自分の基本的なポリシーというか生き方だった。大きな会社の場合、さらに階層化してこの部署が、このプロジェクトが、という風に狭めたりもしていた。

また同じく特定の技術に依存してしまうことが嫌だった。だから狭く深くよりかは浅く広くということが自分のベースにもなっている。会社を技術に置き換えて「この技術が明日なくなっても大丈夫なようにしておく」ことも当てはめることができるんだけど、それ以外にもそう考えるようになった出来事があった。

技術を活かすためにそれを極めていくことは消して悪いことではないけれど、それを捨てることができず、それを使い続けるために使うとい悪循環に陥ることがある。社内で競合するような商品や、似たような技術を作っていたとする。するとこっちを採用するとか、これをこれで置き換えるとかいう決断が下される時がある。無くなる方をやっている人たちは仕事がなくなってしまうわけなので、それに反発することになる。そしてなんとか無くならないようにという変な方向に話が進んでしまう。

自分たちのやっていることが本当にすばらしいからという信念なら問題ないんだけど、サラリーマンである以上どうしても自分の仕事がなくならないようにという思惑がそこに入ってしまう。「それでユーザが幸せになればそれで良いじゃん。」とか言える勇気を持てるのは大変なんだと感じた。

そういうこともあって特定の技術に依存することが嫌になってしまい、幅広くいろんな技術を身につけるようになってしまった。まぁ、アーキテクトというポジションであれば全然悪くないことだし、いろんな技術を知ることによって引き出しはかなり増えた気がする。スペシャリストやエクスパートを目指す人も良いが、自分はジェネラリストを目指したい。