アドラーの本

今年後半からアドラーの本を何冊か読んでいた。

アルフレッド・アドラーはフロイト、ユングにならぶ深層心理学者であるが本人が書籍を残していないことから日本では他の二人よりは知られていない模様。

「嫌われる勇気」を嫌う勇気

2014年に「嫌われる勇気」という本がベストセラーになった。あの本に大体のアドラーの考えはまとまっているんだけどタイトルが釣りすぎる点と2人の対話式で進んでいくフォーマットがあまり好きになれなかった。(帯の「自由とは他者に嫌われることである」も好きじゃない)内容は良いのにフォーマットが好きなれない珍しいパターン。

アドラーの考えでは全員に好かれようとすると不自由な生き方をすることになるので、自分らしく生きるべき、その上で1人、2人嫌われることになるのは当然、ということが表現されているので、「嫌われる勇気」というのは間違っていない。ただ別に「嫌われなさい」とまでは言っていない気がするので、インパクトを狙って釣っているのが好きになれない箇所。ベストセラーになったということは出版社の戦略が成功していると言えるけれどアドラーの考えを勧める本としては選び辛い。

勧める本

ブッダの本を読んでアドラーのことを思い出して5冊くらい読んだ。ベーシックな本としてはタイトルの通りこの本が勧めやすい。というのも「嫌われる勇気」と著者が同じ(出版は15年前)なので同等の内容をタイトルで釣ることもなく教科書的に抑えてあるので安心。

そして本を読むのが苦手な人にはこちらの100の言葉の方が読みやすいと思われる。

この100の言葉の中でいうと「嫌われる勇気」に相当する内容はこのあたりだろうか。

他人の評価に左右されてはならない。ありのままの自分を受け止め、不完全さを認める勇気を持つことだ。

陰口を言われても、嫌われても、あなたが気にすることではない。「相手があなたをどう感じるか」は相手の課題なのだから。

心が痛くなる

アドラー心理学を読んでいるとまず心が痛くなる。アドラーはフロイトの袂を分かっているが、フロイトが「あなたの問題はトラウマによるものでまず親との関係を解決しないといけない」と環境を要因にするのに対してアドラーは「たとえ環境がそうであっても今の行動を決めているのはあなたである」と環境ではなく当人に問題を見出してくるので一瞬、責められている感じになる。

100の言葉で言うとこのあたり。

人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生は、きわめてシンプルである。

遺伝や育った環境は単なる「材料」でしかない。その材料を使って住みにくい家を建てるか、住みやすい家を建てるかは、あなた自信が決めればいい。
 
「親が悪いから」「パートナーが悪いから」「時代が悪いから」「こういう運命だから」責任転嫁の典型的な言い訳である。

「やる気がなくなった」のではない。「やる気をなくす」という決断を自分でしただけだ。「変われない」のではない。「変わらない」という決断を自分でしているだけだ。

遺伝もトラウマもあなたを支配してはいない。どんな過去であれ、未来は「今ここにいるあなた」が作るのだ。

不安だから、外出できないのではない。外出したくないから、不安を作り出しているのだ。「外出しない」という目的が先にあるのだ。

意識と無意識、理性と感情が葛藤する、というのは嘘である。「わかっているけどできません」とは、単に「やりたくない」だけなのだ。

ガミガミと叱られ続けた者が暗い性格になるとは限らない。親の考えを受け容れるか、親を反面教師にするかは、「自分の意思」で決めるのだから。

アドラーの本質はこのあたりの目的論にあるためこの手の言葉も多くなっている。

心が痛くなるものの、アドラー心理学に惹かれるのは逆に全てのことは自分の行動で変えられるという意味を含んでいるからだと思う。環境が変わらなくても、自分を変えることで問題を切り開いていくことができることが示されている。

この考えの中では「☓☓だから○○できない」は「○○したくないから☓☓を理由にしている」に置き換えられる。本当に〇〇したければ周りを理由にせず最大限努力するからであり、この考えを反転するだけで努力のやりようがあると思う。

子育て・教育論

アドラーは子育て、教育についてもかなりいろいろなことを言及している。アドラーは褒めることも叱ることも避けるべきだと考えている。

叱られたり、ほめられたりして育った人は、叱られたり、ほめられたりしないと行動しなくなる。そして、評価してくれない相手を敵だと思うようになるのだ。

アドラーは褒めること自体が上から目線の感情であると否定しており、褒めるよりも感謝すべきと考えていた。

罰を与えるのではない。結末を体験させるのだ。子供が食事の時間になっても帰ってこなければ、一切叱らずに食事を出さなければ良い。

叱るのではなく、こういうことしたらこういう結末になると先に約束しておきそれを実行するという形にする。

他者への貢献

「嫌われる勇気」というタイトルをうまく咀嚼できないのは、アドラーは嫌われる以外の感情も周囲に依存しないようにと言っていて、どちらかといえば自分はこちらの方が響いているからかもしれない。

誰かが始めなくてはならない。見返りが一切なくても、誰も認めてくれなくても、「あなたから」始めるのだ。

「自分は役立っている」と実感するのに、相手から感謝されることや、ほめられることは不要である。貢献感は「自己満足」でいいのだ。

人は「貢献感」を感じ「自分に価値がある」と思える時にだけ勇気を持つことができる。

何故かというとアプリだったりオープンソースだったりを公開していると他人からの不満の方が目についてしまう。これは他のことでも同様だけど、不満を感じていない人は発言しないから、結果的に不満を感じている人の声ばかりが聞こえてしまう。それが仕事だったり、有料アプリであれば自分がお金をもらっているからなんとか耐え忍ぶことができる面があるけれど、何も報酬がない場合はモチベーションを保つのが辛いことがある。

アドラーの言葉を読み返し、たとえ感謝やほめられることがなくても自己満足によってアプリやオープンソースの開発が続けられるようになりたい。