つまる人間になる

過去の年間目標を顧みてもすべてここに集約されるんじゃないかとふと思った。「つまる」というのは「つまらない」の肯定だ、文法的にあっているかどうかは知らん。

つまる人間になる、つまる毎日を過ごす。これが目標となり目的になるのではないだろうか。それにしてもこの「つまる」という表現、やけにしっくり来る。目標はそれなりになりたい人物像をイメージしているはずだが別に僕は超人や聖人になりたいわけではない。主観的に「つまれ」ばそれでいい、もしかすると健全でなくてもよいかもしれない。

つまる人間はアプリをたくさん作っているかもしれないし、毎日勉強しているかもしれない。そう考えると過去の目標も素直に受け入れられるような気がしてきた。

あと肯定文にこだわるのも良い。つまらない人間にならないなど目標で否定形をつかうと〇〇しないという禁止条件が増えてしまう。僕はタバコを吸ったことがないのでわからないが禁煙を目標にしている人の気持ちはああいうものなのだろうか。禁止事項は目標に向かう楽しさみたいなものがなにもないどころか後半はなんでそれをやるのか曖昧になる。そういった時につまる人間はタバコ以外にも娯楽を持っているみたいに置き換えていくのが良い。

つまる人間、つまる毎日というのがまだぼんやりしているが、それを軸に連休中には今年の目標を確定させるつもりだ。