たまに人が考えることがわからなくなることがあります。
急行が止まる駅で、急行列車と各駅列車が同時に到着することがあります。終点まで急行で10分、各駅で13分。なんで3分の差でみんなは座れる電車じゃなくて、ぎゅぎゅうずめの満員電車に乗るのでしょう?全くもって理解ができません。
もちろん1-2割くらいの人は本気で急いでいるでしょう。でも全員が1分、2分にしのぎを削って急いでいるとは思えないのです。なぜならこの現象は通勤時ではなく土日のまっぴるまから起きているんです。
僕は理解できない人たちを眺めながらゆっくり各駅停車の座席に座り、本を読んだりメモ帳を出して考え事をしたりします。たった3分早く着くことよりも、その4倍の13分を有意義に使えるほうが効果的だからです。バルカン人じゃなくてもわかりそうな論理的なことなのにみんな何もできない満員電車にのってたった3分のために10分ぎゅうぎゅうずめで過ごすのです。僕にはやっぱり理解不能です。
こういう人たち(本気で急いでいる人を除いて)を僕は忙しいと思いこんでいる人たちと名付けました。別に忙しいと限らないのですが、急いでいないのならゆとりをもって座ってゆっくり電車に乗れば良いはずなので。そうしないのはきっと時間を有効に使えないから、早く目的地につくことで安心しているのだと観察しています。
本当に忙しい人というのは闇雲に急ぐのではなくて時間を効果的に使う人だと思います。僕は日頃から忙しいという言葉はなるべく使わないようにしています。というのも、「忙しい」というのは生命維持にかかる(食事、睡眠、生理現象)時間以外を全て費やしてなんとかなるという状況を指すのだと思っていて、帰ってお風呂でゆっくり本を読む時間がある以上忙しいわけないのです。本気で忙しいなら速攻で体を洗ってテレビもつけないで速攻で寝ているはずです。だから仕事が沢山あっても忙しいとは全然思いません。
だからこそたった3分のために満員電車に乗る人を見て、残りの23時間57分で3分も捻出できるないほど忙しいわけはないと思いつつ、そういう人たちのおかげで今日も各駅停車にゆうゆう座って出かけます。