ソニーとさよならした2006年

2006年を振り返ってみて、一番大きな個人ニュースは3年半勤めたソニーからの電撃退社だ。やめたのが12/18でまだ10日ほどしかたっていないから記憶に残っていて当然なのだけど・・・

今では思い出話だけど、1月にサンノゼに一人で出張していた時にいろいろ組織やプロジェクトがつぶれて変わるような話を聞いて、いろんなことを考えて、シリコンバレーの真夜中にリクナビ NEXTと@typeに登録。(ぉぃぉぃ)

キャリアプランをいろいろ考えて・・・でも会社を辞めない選択肢もあったわけなので、それについては課長や部長や人事にもやりたいことを話したりして、事業部門長クラスのマネージャへまでソニーはこれでいいのか?的なメールを出したりもしてしまった。

そんな甲斐もあって事業部門長クラスの人間含め、いろんな人と話したけれど、自分のやりたいことがこの会社でできる気がしなく、また「自由闊達にして愉快なる夢工場」であるはずのソニーが持つべきビジョンを持っている人があまりないのではないかと感じた。次はWebサービスか、携帯電話やmyloなどのembedのソフトをやろうと思っていたので、異動やグループ企業に出向するのもひとつの案だったけど、そこまでしてソニーって看板に拘る理由はもう見つからずむしろだったら一回ソニーって冠から離れてみようと決意したのが夏の終わりごろ。

会社をやめるときに人を非難するのはタブーなんだけど、こういうことがやりたい、留学に興味があると面談して、あとで連絡しますといいつつ何も連絡もよこさず、アクションを起こさないで、もしやめることになるんだったらプロジェクトに影響ないように進めないと言いはなった人事には正直怒りを覚えた。大企業から見たらやっぱり、一人一人は駒でしかないのかな。。。悲しいね。

結局、ほとんどソニーに残る選択肢を捨てたからは、Webサービスに興味があったので、その方面で会社を探して、転職コンサルタントをつけて、いくつか有名どころの企業を受けた。外資系企業に英語の履歴書を出したり会社の人にばれないように早朝やら深夜やら土日に面接を受けたりして・・・転職活動は多忙だった。

転職活動で一番つらかったのは会社でプロジェクトが同じ人など身近な人ほど隠しながら活動しないといけなかったことだったと思う。どのタイミングで言うか難しかった。辞めない選択肢もあったし、どこからもオファーがもらえなかったら残るかもしれなかったし・・・でも、最後はプロジェクトのタイミングでここで言わないと影響がでるな。。というところで言うことにした。もうその時には辞めることは自分としては確定だったし。でも本当に言うタイミングは難しかった。

身近な人には相談できなかったので、組織の変わる前の部長にはかなり相談にのってもらった。また、同じくソニーをやめた先輩にも転職についていろいろアドバイスをもらった。とはいえ、最後は自分の人生。自分で結論は出した。

実は誰もが知っているような企業からもオファーをもらっていたので途中でいろいろ迷ったけれど、大企業にいくならソニー辞める理由が薄れるし、個人の力をもっと試したいと最後は考えベンチャーに行くことにした。

この決断が正解なのか、失敗なのかはまだわからない。結果論であとから良かった、悪かったというのは簡単だし、今は、自分の信じる道をただ突き進みたい。

もともと外資っぽい割には離職率は低いのがソニーって会社。当然自分が辞めることにはたくさんの人が驚いたと思う。ただ一方で辞めるとしたら彼だな。と思っていた人も多かったらしく「驚いたけどやっぱりか」。というのが専らの反応だった気がする。離職率が低いってことは逆に、相当な理由や決意がないと辞めないってことにもなるから、もはや引き止めなんて何もなかった。ま、みんなは僕を引き止めても止まる人間じゃないという認識もあったと思うし^^。自分としては辞めない努力もしたつもりだから・・・給料3倍にされても辞めていただろう。

驚いたのはソニーでは一匹狼を気取っていたのに、退職の連絡の返事を50人くらいメールでもらったりして(口頭で聞いたのも入れると本当にたくさんの人から応援をもらった)、その中の多くの人から連絡先を聞かれたり、連絡先をもらったり、これからも関係を保ちましょうと言われたこと。サンノゼの連中からも連絡先を教えてもらって、アメリカで仕事をするなら連絡してよ的なこともいわれた。一匹狼でも仕事をまじめにやっていれば人脈は広がっていくんだと強く感じた。今後はもっと、こういった人と人とのつながりも大事にしていかないといけない。

20代での転職に対して、他に多かった意見は「まだ若いんだし」ということだけど・・・今という日は二度と帰ってこないんだし、今を生きることには年なんて問題じゃないんだと思う。いつ人生最後の日を迎えたとしても、北斗の拳のラオウが死ぬときに「我が人生に一片の悔い無し」と叫んだような人生を送りたい(別に叫ぶ必要はないんだけど)。そう思って決めたソニー退職だった。

2007年は勝負の年。ソニーって後ろ盾を無くしたのは大きいと思う。でもこれは個の力で何かをやるぶんには逆にチャンスでもあるし、何かを成し遂げてやりたい。