承認欲の本が予想に反してマネージャー向きだった。
一時期、ブログやSNSの情報発信というのが承認欲でしかないと悟って投稿に抵抗を感じていた。承認欲がないならプライベートな日記で良い訳で、ネットで何か書き込むとうことはやはり誰かに認めてもらいたいという欲求は否めない。しかし、その後、ブッダの本を読んでモチベーションになる限り欲は認めても良いということで少し和らいだ。
もう少し承認欲について勉強しようとしたのが冒頭の書籍。内容は自分の承認欲というより、相手や部下の承認欲求とどう付き合うかについて書いてあり、仕事で役に立ちそうな内容だった。
ベテランの管理者や人事・人材開発担当者は口をそろえて言う。「働く人たちの大多数は、自己実現欲求より承認欲求によって動機づけられている」と
なるほどと思わされた離職の理由の話について
離職した理由として給与や労働時間などの労働条件がよくないことや、仕事が自分に合わないとか成長できないことなどをあげていても、よく聞いてみるとそれは表向きの理由であることが少なくない。典型的なのは「周りから認めてもらえない→仕事が楽しくない・孤独を感じる・自信が持てない→離職する」といったパターンである。しかも本人自身、それが承認の不足だと気づいていないケースもあるため実際より問題が過小評価されている。
これを読むとドワンゴの焼きそばの件も実際のところは承認欲求が満たされていなかった面もあるのではないかとふと思った。
この本の良い所として日本人という部分にフォーカスを当てている点がある。
とくに日本人の場合、認められたいという気持ちを正直に表現できないことが多いようだ。それは、表立って主張したり突出して目立ったりすることがはしたないとされる一方、分をわきまえ、奥ゆかしく振る舞うことがよしとされるから
すなわち人生の目標として出世、キャリアアップを堂々と掲げ、それに邁進していくのが困難なことがあげられる
こうしてみると、ほめられたいがほめてもらえない日本人の姿が浮き彫りになってくる。
つぎのような仮説を導くことができる。同じ短期的な承認であっても、欧米人は仕事の客観的な成果で認められようとするのに対し、日本人は仕事ぶりで認められようとするのではないか。
この本で私が力を入れて訴えたのは、つぎのことである。<表の承認>より<裏の承認>、また<長期の承認>より<短期の承認>に偏ったわが国の組織・社会風土は、国際的にみてもきわめて特異である。しかも、いまなおその特異性を強めようとしている。これは正直いってかなり異常な現象だ。
日本人は認めてもらいたいたいが、それをうまく表にだせないのでいろいろややこしいことになっている。日本でTwitterが流行ったのもこのあたりに関係があるかもしれない。
もともと勉強しようとしていた個人の承認欲求については少し間接的になってしまったが、この本では組織の中での他人の承認欲求をどう付き合っていくかについて学べることがあり、マネージャーが読んだほうが良いような内容だった。そもそも、この本は日本でTwitterやFacebookなどが流行る前の2007年に出版されていた。すこしだけMixiには言及していたが、基本的にはネットにとらわれずに承認欲求を分析されているため結果的に勉強になった気がする。
GitHub社などは欧米のIT企業では<日常の承認>が行われやすいパーテイションのない日本的な職場環境になっていて、8年間で日本も海外も大分状況も変わってきているかもしれないので続編として現在の分析もしてもらいたいものだ。