体罰(指導法)で生徒を死なせたら責任を取らなけばならない

体罰で高校生が自殺した件で体罰自体の是非が問われたりしているけどなんかそれって違うような気がする。原発事故と一緒で結局、事故ったから騒いでんるんでしょ?いじめと同じで事故ったから今だけ騒いで時間たったら風化するんでしょ?という風に聞こえる。

ある意味、体罰も原発と同じで「無くて済むならそのほうがいいもの」であってそれそのものが善か悪かの議論には意味がないと思っている。問題はそれ自体ではなくそれが必要だと判断して施行する人間の方が問題なんだ。だから議論の対象になるのはその指導者自体になるべきだけど、その体罰は適切だったかという議論も意味がないと思う。だって結果として生徒が自殺しているわけだからもうその時点でアウト。

この指導者は素晴らしい指導者なのかもしれないし、他の生徒には適切に体罰を施行していたのかもしれない。でもそんなことは関係ない。タクシーの運転手がどんなに運転がうまくて何人ものお客を適切に運んでいたとしても交通事故で誰かを死なせてしませてしまったらその運転手は職を失うだろう。学校の教師というのは子供を教育するプロフェッショナルなのだから自分の持論である指導法で生徒を死なたのならその責任はとるべきだ。

結果論で体罰の善悪を決めるべきではない。しかしプロというのは結果論で責任を取らなければならない。